【松陰神社】吉田松陰先生が祀られている神社には学力向上のご利益が!

東京の世田谷区に街中にある松陰神社。
松陰神社はその名の通り、幕末の思想家であり教育者であった吉田松陰先生がご祭神として祀られております。

そんな松陰神社を今回は詳しく紹介していきます。
松陰神社の由緒や吉田§松陰先生の生涯、松陰神社のご利益や御朱印、所在地とアクセス方法までくまなく紹介しておりますので、松陰神社にお参りの前に一度チェックしてみてください!

では、早速まいりましょう。

松陰神社とは

松陰神社の社殿

(松陰神社の社殿)

ご祭神として祀られております「吉田松陰先生」は安政の大獄で刑死し、その後、松陰先生の門下生であった高杉晋作、伊藤博文等によって現在、松陰神社が鎮座している東京都世田谷区若林の地に改葬されました。

世田谷区若林には、江戸時代から長州毛利藩藩主の別邸があったため、この地に「吉田松陰先生」が祀られているとか。

実際に松陰神社が創建されたのは明治15年(1882年)11月21日で、吉田松陰先生の門下生たちが中心となり建てられました。

※現在の社殿は昭和2〜3年にかけて造営されたものです。

松陰神社のご祭神「吉田松陰先生」とは

吉田松陰先生の生涯

吉田松陰先生ブロンズ像

(松陰神社の境内にある吉田松陰先生のブロンズ像)

ここからは、松陰神社でご祭神ととして祀られております「吉田松陰先生」に関して少しみていきましょう。

吉田松陰先生は天保元年(1830年)8月4日、長州藩の萩(現在の山口県萩市)長州藩士杉百合之助の次男として生まれました。
そして6歳のときに、山鹿流兵学師範であった吉田家に養子入り。

藩校明倫館を経て、九州の平戸に遊学。
その後、藩命により江戸留学をし、佐久間象山のもとで砲術と蘭学を学びました。

嘉永6年(1853年)に浦賀にペリーの黒船が入港した際、松陰先生も実際に黒船を目で確かめることになり、日本が植民地化されてしまうのではないかという危機感からより一層西洋兵学などを勉強しました。

西洋兵学を学ぶほど、実際に目で確かめたいと考え、長崎に通商を求めやってきたロシア使節のプチャーチンの船に乗り込もうと試みたりしました。

嘉永7年(1854年)には、ペリーが通商を求め再度下田に来航。
その際に、下田沖に停泊中であったペリーの軍艦にむけて、夜小船で接近し、軍艦に乗船し米国への渡航を懇願しましたが、認めてもらえませんでした。

そして、翌朝自首し、江戸伝馬町の獄に投獄されてしまいます。
安政元年(1854年)12月に萩の野山獄に移されましたが、翌年免獄となり実家杉家に幽閉の身となりました。

獄の中でも学ぶことを止めず、投獄されていた他の方たちと勉強会を開き、互いに得意分野を教えあっていたとか。

免獄となった後、安政4年(1857年)に萩に「松下村塾」を開講。
「松下村塾」では、身分の上下や職業などは関係なく、それぞれの長所を見つけ伸ばすという教育を実施。
「松下村塾」は僅か2年余の間しか開塾していませんでしたが、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋ら多くの門下生を集め、幕末から明治にかけて活躍した人材育成の場となりました。

安政5年(1858年)井伊直弼が大老となり、日米修好通商条約が調印されました。
そして、これに反対する人々を投獄し罰していきました。これがいわゆる安政の大獄です。

吉田松陰先生も幕府の脅威と考えられ、投獄されることとなり、安政6年(1859年)、江戸の伝馬町獄舎で刑死。
30歳という若さでお亡くなりになりました。

吉田松陰先生の死後

吉田松陰先生墓所

(吉田松陰先生の墓所)

死後、弟子たちよって、行路病死者や刑死者の供養のため、1667年に小塚原刑場の傍らに開いた寺院である小塚原回向院に埋葬されます。(※諸説あり)

その後、文久3年(1863年)に松陰先生の門下生であった高杉晋作、伊藤博文等によって現在、松陰神社が鎮座している東京都世田谷区若林の地に改葬されました。

幕末から明治にかけて活躍した人物に松下村塾の門下生が多いことからも、吉田松陰先生が30年の期間で後世に残したインパクトは非常に大きなものがあると感じますね。

松陰神社のご利益

松陰神社の手水舎

(松陰神社境内にある手水舎)

松陰神社のご利益は、吉田松陰先生の生涯からもお分かりいただけるかと思いますが、「学力向上」「合格祈願」のご利益があるといわれております。

学問の神様として崇敬されている吉田松陰先生のお力添えをいただきに、松陰神社へ足を運んでみませんか?

松陰神社の御朱印

松陰神社の御朱印

松陰神社の御朱印は上の写真のとおりです。
初穂料は500円でした。

御朱印だけでなく、なんと檜でできている栞もいただくことができました。

吉田松陰先生の栞

こちらの栞には、吉田松陰先生自賛肖像が書かれております。

大まかな意味としては、「私の命は国家に捧げており生死に関係なく忠誠心に変わりはない。至誠を尽くせば心を動かさない者はいないと孟子は述べているが、古来の賢人には及ばないまでも、その追い求めた道を精一杯追慕したい」だとか。

この栞で読書すれば、学力向上も思いのままになるかもしれませんね。

松陰神社の所在地とアクセス方法

松陰神社の所在地、参拝可能時間、アクセス方法を最後にチェック!

【場所】
〒154-0023
東京都世田谷区若林4-35-1

【参拝可能時間】
通年:午前7時〜午後5時

【アクセス方法】
・公共交通機関
東急世田谷線「松陰神社前」下車徒歩3分
※渋谷駅、五反田駅、用賀駅、祖師谷大蔵駅などから路線バスでもお越しいただけます。

・車
環状七号線と世田谷通りの交差点から車で約5分

まとめ

松陰神社内の松下村塾

(松陰神社の境内にある松下村塾のレプリカ)

吉田松陰先生と松陰神社、いかがだったでしょうか。
吉田松陰先生の偉大さが少しでも伝わっていれば幸いです。

この記事を読んでいただいたことをきっかけに、東京の穴場観光スポット「松陰神社」にぜひ訪れてみてください!
学問の神様のご利益を授かることができますよ。

  • この記事を書いた人

みきてぃー

『日々の話題をアップデート』をテーマに明日誰かに話したくなることを発信中です。
24歳 │ ブログ継続1年 │ ブログ初月の収益472円 │ 筋トレ・パワーリフティング⇒BIG3:505kg(BP:145kg DL:190kg SQ:170kg) │ 簿記2級 │ 旅(45都道府県制覇。残り秋田・高知) │
※ザウルス系の顔とよく言われます。

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